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えんがわあぶり

精神疾患を馬鹿にしていたら自分が精神障害者になっていた。

直面した問題の根っこを探れ。

ニンテンドースイッチがほしい。寿司マーブルです。

 

昨日、とても良い記事を見ました。

【こころの悩み】“お金を稼げなくても愛される人間になりたかった”−−「子どもの頃」に愛情を注ぐことの重要さを考える | ぱりことば。

 

この記事を書いたのはともえさんという方。絵もかわいらしくて素敵です。

少し前からツイッターで仲良くさせていただいています。

彼女はBPD(境界性パーソナリティ障害を患っており、記事の中でも生きていく中で感じる生きづらさをつづっています。

 

私はBPDの診断が下りてはいませんが、確実に併発していると思います。

で、時折それが爆発して誰かにぶち当たってボロボロになって、やっと起き上がれるって時にまた無理をしてどんどん芯にひびが入って脆くなっていく感覚

うつも癖になるのと同じで、ストッパーが壊れると癇癪を抑えるのは難しくなるように思います。

前は許せたり大丈夫だったことが、実は「許し」に近い「我慢」だったことに気づかず、「そんなことで?」というところですべてが崩れていったり。

今私がそのデフレスパイラルにハマって相手をぶん回しているので、どうにかしたいなと思っているところにこの一文が目につきました。

 

「わたしは『誰に』怒っているのか?」
「『お金を稼げない人は自分の意見を言う資格がない』と思っているのは、『誰』だ?」 

 

目の前で起きた事象を必死で抉り出し、手に持った包丁や止められない感情に対してパニックを起こす前に「この気持ちはどこから来ているのか」を探るのは非常に重要だと思いました。ハッとさせられるってこういうことなんだな。

なので私も根っこを探ってみようと思います。探り探り。

 

 

自分がいるだけでストレスではないか?

私が生きていると常に付きまとう感覚です。

友達といても、彼氏といても、以前は家族といても不安でした。

双極性障害を患ってから、その感覚は強くなりました。病名がつかなければ「双極性障害だから…」と縛られるような気持ちもなかったのかと思う時もありますが、だとすると今度は逆に大暴れして自爆する未来が見えるので病院には行ってよかったと思っています。

病名というのは使いようですね。

自分を縛る枷にもなれば、自分を抑止できる盾にもなります。

でも、人に迷惑をかける大義名分として振りかざすものではないですよ。

 

 

また、私はささいなことで神経がピリッとします。

でも「私に怒る価値はない」「我慢をしなければいけない」と感じ、ぐっとこらえます。

我慢をため込み精神が淀みはじめると、今度は身体的に支障が出てきます。

・勝手に涙が出る

・指一本動かせなくなる(感情が爆発すると今度は自分を攻撃し始める)

・体全体の感覚が過敏になる。触られると痛いといった不快感が出る。

 

でも今の私は自分が感じる不満の何倍も相手に負担をかけています。

どれだけ理不尽なことをされても「嫌だ」と「我慢しなければ」という感情がせめぎあって、情けなさといらだちでどんどん体が動かなくなる。「冗談だよ」で済まされたとしても他人の口から出た言葉に1%でも本心が含まれていないと言えるでしょうか。

 

じゃあ逆に幸せだと感じたら?

今度は「幸せになる価値のない自分」が顔をのぞかせます。尽くされているという自覚があればあるほど「私にそんな価値はない!」と言いたくなります。

どれだけ暴力を振るわれても待ち続ける相手の姿を見て哀れみすら覚えます。

 

「私には幸せにする力がない」

 

まともに日常生活を送ることができないこの体でなにができるのだろう。考えれば考えるほど見合う尽くされ方ではないことが明確になり、昨日も「私じゃない人と付き合えばいいとしか思えないです」と言ってしまった。

あれは相手が悪かったのかどうかもわからない。私が短気だっただけなのかもしれない。少なくとも私以外の人だけが怒っていい事柄であったことは確かです。

 

幸せでも不幸せでも納得しないこの脳が憎い。

徐々に「自分がいるだけでこの人(団体)はストレスなんだな」という考えが染みついてきます。

 

と、今まではここで終わっていました。どうにかしないと=我慢という方程式しか浮かばず、我慢が限界になれば答えはへと移行するだけ。いい案が浮かびません。

 

 

したらば探ってみよう

神経質なのは生来の物だとして(潔癖症だし)、幸せになる自分が不満というのは自己否定から生まれていると考えます。

その自己否定が生まれたのはおそらく小学生のころ。この頃からすでに「自分の価値は役職によって定められる」と感じていました。人の上に立って先導することで自分の価値を確かめることができるし、1番になることが自己肯定の近道でした。

中学生の時は人の上に立たないことが自分なりの思春期だったのかもしれないな。

人のために奉仕をする。そのためなら自分の生活を犠牲にする、それが善であり自分を肯定する方法で、他の何物でもない。

人の上に立つことはすごくリスクが高いようにも思いますが、団体に所属していると神経質ゆえの不満も生まれやすく「自分ならこうするのに」という気持ちをフルバーストで解消することができますし、なんと上に立って頑張ると嫌でも人の目につくので誰かは褒めてくれますしまいには生徒会長までやってド素人なのにAdobeソフトを駆使し15分程度の動画を一人で作っていました褒められることで他人に認められたい、価値があることを証明したいとがむしゃらに頑張る、頑張るのが面倒な人たちが感謝してくれるというwinwinの関係性が誕生。

御恩と奉公の関係に似ていますね。

 

絵にするとこんな感じです。

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ペンタブを持ってくるのが面倒で吹き出しをマウスで書きましたが、それによって鬼気迫り感が否めません。でも理解はしていただけると思います。

 

ハイリスクハイリターンな方法でしか価値を認められない私は、病気になったことでこの方法が封印されました。サークルでも部長にはなりましたが色々あって最後までやり遂げることもできず、「この先人の上に立つのは相当周りに迷惑をかける。やめておこう」と思いました。

そこで理解したのは「自分がいなくてもマジで何とかなる」ということです。

部長であっても下っ端でも、一人かけたら誰かが勝手に補うんです。これは自分を安心させましたが、当時はショックでした。

「自分がいないと成り立たない世界」なんて存在しないんだな…と思いました。

 

そして現在、役職が存在する団体に入っておらず自分の価値を証明することができない。この先もそれは厳しいということが自分を縛っているんだと気づきました。

自分の価値の証明の仕方を考えることから始めなきゃいけないみたいです。

根掘り葉掘り、大事だなあ~~。

 

家族は私がずっと寝込んでいるだけでも、楽しそうに散財していても

「それがあなただから、生きていてくれればいいんだよ」という気持ちを伝えてくれます。この年になってもしっかり叱ってくれるし、助かります。

彼氏もちょっと無神経だったりして私の神経を逆なですることが多々ありますが、病気のことも懸命に調べてくれて「すしまちゃんがいてくれるだけで幸せだよ」と言ってくれます。

 

「いるだけでいい」と思えなかったのは、私だけだったのかもしれません。

今でも褒めてもらうこともありますが、人からの善意を受け止められない私がいます。

それは高校の時に笑いものにされたり辛いことがあった過去があるからかもしれないし、小学校の時にいじめられた過去があるからかもしれない。「自分だけは味方だよ」という言葉によりかかりすぎていろんな人を傷つけて離れて、他人の限界を知っているからこそ、自分は他人からしたら手に余ることを十二分に理解しているからかもしれない。

障害によってフィルターにかけられた過去は辛いところだけを自分に押し付けてくるけど、でもそれを外してみればいいことだってたくさんあったはず。

高い世界しか知らなかった私は、障害によって最底辺の世界をたくさん見させられてそれなりに苦しい思いをしました。でもその場所でも色んな意見を知ることができたし、全部が悪いことではありませんでした。収穫がないわけじゃなかった。

何を「悪」とするかは自分自身。「善」も自分自身が決めること。

「善い」人間のハードル下げもしていくべきだろうな。

 

今の自分には何ができるのか、ではなくて、「そのままのあなたでいい」と言ってくれる人に感謝を伝えることから始めるのがいいのかもしれないな。

お題箱で「恵まれてる」と言われたけど、人間関係はすごく恵まれています。私。

ネットで出会った人もいい人たちばかりだね。助かっています。ありがとう。

 

素直に好意を伝えることはなんだか恥ずかしいけど、言わないと伝わらないのは良く知ってるからね。

 

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すしまちゃんはあぶりえんがわなので白っぽいです。

今回の記事書いてちょっと心の整理がついた気がします。

今やるべきは

・目の前にある人の善意にはしっかりと感謝する。

・自分を認められる何かを探す

ですね。

わたしは「お金を稼げない自分」を許して、「自分で愛せる」ようになりたい。

「不定期に寝込んで仕事が全くできなくなる自分」も許してやりたい。

「できる自分」も「できない自分」も愛したい。

本当にこれ。お互い自分を大事にできるようになりたいですね。

ともえさん、ありがとう~!

 

あとお題箱

あの娘の白いワンピースが春風に吹かれて膨らんだ。
僕はそれが嫌だった。嫌で嫌でどうしょうもなくて、自分のシャツは切り刻んでひとりで泣いた。
そんな僕にあの娘は小さな青い花を一輪くれた。
もうあの娘に会うことはきっと、いや絶対に無いだろう。

なんで膨らんだのが嫌だったのかな~って考えてみたんだけど、きっと僕は外に出られなくて、外で見かけるあの娘は僕にとっての「健全」の象徴なのかな。だから羨ましいし大好きだけど、あの娘を見るたびに自分のふがいなさも同時に感じてしまうわけで。

シャツは大事だからあんまり切り刻まない方がいいよ(大暴れした時にボタンをぶち破ったことがある)

春に咲く青い小さな花を調べてみたよ。お花は好きなんですが扱いに困るのでもらってもあたふたしちゃいますね。

一輪で十分に存在感のある花がなかなかないですが「ムスカリ」なんかいかがでしょうあ。お花っぽくなくて僕が一生懸命調べたらこれが花だということを知ったのです。

『夢にかける思い』『失望』『失意』『明るい未来』

 なんともそれっぽい花言葉じゃないですか。娘は僕に何かを期待していたのかもしれないですね。でも春になっても他人をうらやんで自分自身を傷つけているあなたに愛想をつかして、なけなしの情を花言葉に託したのではないでしょうか。

 

なんてね。物語の受け取り方は人それぞれなのでみなさんも考えてみてください。

お題箱、まだまだ募集しておりま~す!

http://odaibako.net/u/suposupo_

 

現場からは以上です。