好きより嫌いの方が楽。
人生の7割寿司、寿司マーブルです。
先日このような記事を掲載しました。チラホラと見ていただいています。
本人巡回済みと思われます。どうもありがとうございます。
私は嫌いという感情をよく持ちます。この記事も9割嫌悪で構成されています。
「嫌いなものに執着してたら人生つまらないよ」という言葉も聞きます。
ごもっとも。見ているより好きなものに囲まれていた方が数億倍マシです。
でも、好きでい続けるってすごく疲れませんか?
嫌いよりもエネルギーを使ってしまう。好きになる対象によってその度合いは変わってきますが…。
「なんで好きってこんなに疲れてしまうんだろう?」
少し考えてみました。嫌われてる人も何かを好きで必死に追いかけている人もよかったら見てください。
そもそも「好き」のハードルが高い
この世の中「好き」のハードルが異常に高い気がします。
例として、とあるバンドを好きなAさんとBさんがいるとします。
Aさんがお金を落とすまではファンじゃない!と言います。彼女は足繫く現場に通い、チケキ〇ンでチケットを落とし、名義を借りて1ツアー3公演は必ず行きます。彼女の生活はそのバンドが基盤。グッズも雑誌も買いあさり、暇さえあればいくらお金が入るか皮算用。バイトのお金も時間も全てバンドのため。自分のことをおろそかにしてまでファンとして奉仕を行います。それが彼女の流儀です。
一方Bさん気持ちさえあれば立派なファンだと考えています。毎日youtubeのMVを聞き、円盤は買うもののライブにはあまり行きません。人混みが苦手なのと自分の生活を切り崩してまで応援をすべきではないと考えているから。生活の一部としてバンドを応援し、Twitterや手紙などで感想や感謝を伝えます。「手紙、読んでいます」というボーカルの言葉で今日も夢見心地。少しでも糧になっているなら…という考えです。
あなたはどっち派ですか?
この両者、どちらがファンかと言われれば答えは「どっちもファン」で終わりです。
でも、Aさんの方が愛が強いと考える人が多いのではないでしょうか。
Aさんはタフで金があるだけで気持ちの強さはほぼ互角なのに。
つまり「お金を落とせる相手」に対してはどうしても「財力」がファンとしての強さを決めてしまっているんですね。
お金のほかにも測れるものはあります。長さです。
古いアルバムを持っていたり、小さいライブハウスで活動していたころから応援していれば「古参」扱いされ、新規ファンから崇拝される現象もしばしば。そしてファン同士で壁のようなつながりが生まれ、少しでも軽率な発言(らっどってばんぷに似てますよね)をすると「テメェの居場所はここじゃねぇんだ…失せな」と土に埋められてしまいます。
こうして一定のコミュニティが生まれると逆に新規がつきにくくなり、関心がない人から「あそこのファンはなあ~~~」と言われがちですね。
ONE OK ROC…の話をしているわけではないです。本当に。
今回はバンドに限りましたが、アニメやゲームでも結構そういう現象は多いです。こうなると「好きだな~」と軽率に発言するのが面倒になってきます。
じゃあ好きを一般人に置き換えた場合は楽なのか?
いや、これもまたかなり面倒です。例を挙げます。
「ねぇねぇ、うちのことすき・・・?」
「好きだよ・・・」
「どこが・・・?(元カノよりも)どこが好き・・・?」
「うーーーーん・・・全部・・・かな・・・。」
「全部じゃわかんない・・・(具体的且つ私が喜ぶ例を挙げて)ちゃんと教えて・・・?」
・・・・・・
(1日ぶり3239回目の会話)
好きって伝えにくいですよね。恋人に対しては「何が好き」とか具体的なものって実はそんなになくて、「愛着」がほとんどだと思うんですよ。
でも「愛着が湧いている…」で済ましたら女はブチぎれます。
距離が近ければ近いほど好きの項目を挙げるのは難しく、好きと証明するのは困難。
その「好き」という感情を維持するのも維持してもらうのも相応の努力が要ります。
恋愛って難しい。
また「〇〇があまりにも自分の好みであった」ということを伝えるときに
「とりあえず最高」「よさみが深い」「生きていてよかった」
「生まれ変わってこの人の赤子になりたい」
と語彙力が大変なことになってしまいがちです。
愛着だけでなく、好きすぎると理性が飛んでしまうため、伝えることが難しくなってしまうのも原因の一つだと思います。(※諸説あります)
逆に「届かない相手」(バンド)には見返り(ライブ)があるから相応の対価を支払う(お金)ことである程度の欲求が保たれますね。winwinの関係です。
別にバンドはお前かわいいな…とか言わないですもんね。(言うところもある)
ただ、純粋な「見たい」から下劣な承認欲求が爆発し「見られたい」に変わったとき、届かない相手に一般人に対するエゴを押し付けることになります。
この行く先は地獄です。やめましょう。
「好き」より「嫌い」の方が面白い
他人の良い話より、悪い話に惹かれます。人間とはそういう生き物です。
美人の自撮りの加工がバレれば大盛り上がり、有名人のエメラルド割れが発覚すれば祭りです。
そして人は好きを語るよりも嫌いを語る方が的確で、非常に面白い。
こんなツイートをしました
みなさん、嫌いなものの話をしてください。食べ物、人間、ニュース、流行、なんでもいいです。嫌いなものの話をしてください。
— 寿司マーブル (@suposupo_) 2017年3月13日
それに対するマヨネーズが嫌いな方の返信
@suposupo_ さすがに石は投げられませんけど、そーなんですよ。思った以上に辛いですね。嫌いって認識すらなく、口に入れると舌と内蔵が苦しみ出す感じ……。
— 笑う蕁麻草 (@Archifictional) 2017年3月13日
こちらはトマトが嫌いな方の返信です
@suposupo_ どちゃくそ同感です!!なんかドゥルドゥルしてるじゃん!やだみ!
— さそ (@mmmmmmmmmm222) 2017年3月13日
マヨネーズで苦しみだす人やトマトがドゥルドゥルだと嘆く人。
みんな嫌いなものに対しては非常に敏感です。感受性が豊かな人が書く文章は非常に面白いのと同じで、皆さんが嫌いなものを文に起こすとかなり面白いものが出来上がるはずです。ぜひやってみてください。
この時の嫌いなものは「相手に感情がない物」がいいです。おそらく。
食べ物や団体、お金のために動いている個人、ニュースや本でもいいですね。
感情移入しすぎた挙句嫌いになってしまったものに言及すると自爆する可能性があるのでやめましょう。(例:己の過去)
ちなみに結構リプライがきて上記は抜粋したものになります。みんな嫌いなものっていうとすぐこれ!!!って挙げられるんですけど、好きなもののすきなところは?って聞くとう~~ん?となること多い気がする。
私も女王蜂の良さを伝えるつったら「ボーカルの脚が私の身長くらいある・・・」としか言えません。でもこれは本当です。
そして好きを伝えるとき、しっかりと調べて書かなければという使命感に駆られて、書いている途中で疲れてしまうこともしばしば。
嫌いなものに関しては嫌いの感情がすでにリストアップされているのでそこまで疲労せず書けます。アンチと呼ばれる方々の感情まで行くと、もうそれは好きの裏返しと言っていいくらいの執着になりますので、身を滅ぼしかねません。やめましょう。
何を書きたかったかっていうと、案外嫌いという感情の方がストレスなく過ごせるかもしれないという話です。そうじゃないと人に「嫌い」なんて簡単に言えませんもんね。
「好き」っていうほうがなんか、責任がいるじゃないですか。たまには無責任に「嫌いだ~!」って言ってもいいと思います。
でもそれで人を傷つけるのはよくない。棒立ちの人間に殴りかかるような「嫌い」はやめましょう。
中村さんは殴りかかっても平気で蘇るので大丈夫だと思いました。
以上です。