えんがわあぶり

精神疾患を馬鹿にしていたら自分が精神障害者になっていた。

一連の流れ

寿司マーブルです。

 

化粧を覚えてから半年も経たないくらい。

21歳になって口紅に種類があることを知り、目じりに濃くシャドウを引くことを知り、少しずつ社会に溶け込んでいく感覚の中にいる。

それまではずっとすっぴんで、たまにする化粧はしないほうがマシなくらい。正直見てられないくらいだった。

美人が自分を一層美しく見せるための線や色だと思っていた。私には必要のない物だと思っていた。

そんなものにお金をかけるほど自分の美醜に執着していませんよ、とアピールすることがどこか逃げだったようにも感じる。化粧や整形をしても届かないところに手を伸ばしているのを見られるのが恥ずかしかった。棚の高いところにある本を一生懸命に手を伸ばす子供みたいで。

 

人にそんな興味を持たれていないなんて言うのは真っ赤な嘘で、人は他人を見つめれば多少の点数付けはするんだ。あの子はあの子はって勝手に品定めしてされての繰り返し、そうして人間って多少はマシになっていくもんなのかな。

 

人間は人から何を言われようと自分で気づかなきゃ変わることってない。私も化粧しなきゃダメじゃんって思ったの、自分で気づいてからだったし。周りがどんどん綺麗になっていくのを見て元がいい人は違うからって見ないふりしてた。

 

情けない話ばっかだけど、ちょっとは化粧がうまくなって、ちょっとは褒められるようになって、自分に自信を持ったり向上心を持つことは人生においてすごく大事なことだ。自分の顔に執着している人もいれば趣味や、勉強に執着している人だっているんだろうけど、そういう執着できるものっていうのは薬にも毒にもなるよな。平気で活力が絶望のエッセンスになる。難しい匙加減だけど、そういう感じで自分の中のどろどろした部分をあやしながら生きていくんだろう。

 

毎日化粧をしている。毎日30分かけて自分の顔を丁寧に修正していく。

アイラインの引き方を少し変えてみる。リップの色を少し変えてみる。

まつ毛をしっかり上げて、丁寧にマスカラをする。

鏡で確認した後にスマホで写真を撮る。それが私の一連の流れ。

自分の見ている顔が現実とかけ離れていたとしても、それで頑張れるなら私は自分をだまして生きていきたいと思う。

可愛い物だけを、良い物だけを目に入れることは、必死で生きている私には必要なことで、悪いことを飲み込むのはもう少し後でも、誰が許すとか、誰が許さないとか、そういうことを考えずに、生きていたい。

 

自分の顔がいいとは思っていない。「いい」と思う瞬間を切り取ってしのいでいる。

ネットを見れば勘違いで溢れていて、SNSが生んだ負の遺産とも思うけど、でもそういう人は幸せそうだ。

幸せなら勘違いのままでいいのかもしれない。勘違いさせてくれる人がいるならそのままでもいいのかもしれない。

 

他人の裏の評価まで考えることはもうやめた。そういうのは現実社会だけで考えればいい。

 

生きていたい。めだめだに甘やかしてくれる人に甘やかしてもらって生きていたい。

現場からは以上です。