あなたの人生なんだから好きにしなさい
目つきの悪い女が好き、寿司マーブルです。
唯一無二の女になりたいね。
双極性障害になる前から気分にムラがある人間で、治さなくてはと思うたびに気づいたらモヤモヤした気持ちを殺すために全てをリセットしているということがよくある。
感情に脳みそをぶん殴られた3秒後にはネットを見ている。嬉しかった数分後に手の甲をつねっている。
感情が独り歩きしていくことに慣れてしまって、自分の理性は全く育たないままこの歳になってしまった。
ゴムボールのように跳ね回る気持ちと、ちぎれた輪ゴムのような理性。
一歩引いて人と会話をするときは「社会性」が感情を潰してくれる。
「真面目」「賢い」「大人しい」というレッテルを貼られ、ぎこちない笑みも手伝って「冷たい人」という私が知らない私が他人の心にできている。
「私、もっとユーモアあるんです。」
血の通った人間であることを知ってもらいたくて手を伸ばそうとする。
でも人の背中にそれが届くことはなくて、一歩引いた距離感は埋まることがないまま、「社会性」に引っ張られていくうちに、不正を治していくうちに
気づいたら「怖い人」になっている。
家では「生活能力のない人」で、一歩引いて話す人からは「怖い人」。
私の手を取って微熱を感じた人は「実は面白い人」。
じっとりと汗ばんでいくのが分かるほどに手を離さなかった人からは?
たぶん「面倒くさい人」。
私が思ったより汗っかきで、他人の手を汚すくらいに図々しくて、「社会性」が「理性」の代わりをしていることに気づいた頃には、感情はどんどん揺れていって振り回して、飢えた野良犬みたいに誰かの愛情を求めていく。
インターネットの私はどう見えている?
健常者の人と話す方が楽だったりする。
私が雑なことを言ってもうまくキャッチして返してくれるから。
ここにいるずっと前からある私の居場所は、誰かが誰かによりかかることもなく、辛いときは壁にゲロを擦り付けて、自分の袖で涙をぬぐって、毎日を生きている。
危ない人もいる。でも全員「社会性」で自分を奮い立たせられる程の器量がある。
居場所というよりはよく座っているところ、くらいの感覚で、人が足繁く往来するのを眺めて少し落ち込んだりしていた。
自分には足があるはずなのに歩けないな。涙の拭き方が分からないな。
そう思ったときにいったんそこから離れて、別人としてアカウントを作った。
気づいたらそれなりに会話できる人が増えて、実際に会った人もいた。
馴れ合いというのは、ぬるま湯のような、遅効性の毒のような、ともかく悪性の居心地の良さというものを感じた。
一方でつながりは、自分が一人ではなく、ささいな感情であっても「必要」という自覚をわずかながらも持たせてくれた。
炎症を抑える薬も塗りすぎれば荒れる。
人とのつながりに依存し始めたらそれは心が荒れていく一方だ。
必要もないのに自分への批判を目にしてしまう。
「褒められる」ことは多いはずなのに貯めこんでいたはずの袋には何も入っていないような錯覚を覚えてしまう。
「自分が嫌われている」という些細な事実が100のように思えて、余分な馴れ合いで勝手に傷を作った。
アカウントを消した。
戻るつもりは毛頭なかった。心底つかれた。それ以外の感情はなかった。
インターネットの私はどう見えている?
鏡で自分の顔を見るように、簡単に人の中の私は見えない。
見えないからいいこともある。
見えないから悪いことも、もちろんある。
ニキビ跡のように隠せるものなのか、手術をしないといけないほどのものなのか。
他人の中にある私をどう整形していけばいいんだろう?
鏡がないなか試行錯誤、無駄だと気付いたのはたった今のこと。
ここからほんの数日離れた。
視界の靄が少し晴れて、心に届かなかった声が床に散らばっていることに気づいた。
拾い集めて一つずつ並べて置いていくうちに、自分の心に届けるべきだったものの選択を間違えていたのかも、と感じた。
電子の海で、私は何をもがいていたのだろうか。
ありのままの自分を見せることが正しいことばかりではなく、「社会性」で押さえつけるのではなく、「理性」で感情を正すことが私には必要なのかもしれない。
子供のころからインターネットはもう一つの現実だった。
昔は人と人との距離がそんなに近くなかった。ぼやけたガラスの向こう側で相手が何をしているかまではわからない。でも、確実に人がいる。そういう認識だった。
今は。
手まで取りあえてしまう。人の心に遠慮なく入り込めてしまう。下手をすれば人生を大きく左右してしまう。
それが良いことなのかはわからない。でも、昔より確実に、もう一つの現実はこちら側と同化しようとしている。
自分の意見が正しいとは思わない。他人の意見に流されることもよくある。
でも、他人の言葉にいちいち体を取られていたら、まっすぐ進めない。
波に逆らう「図々しさ」が、もう少し必要なのかもしれない。
あるいは、そんな波に飛び込むことさえしなきゃいいのかもしれない。
インターネットの中くらいは、優しさだけ選んでもいいのかもしれない。
関わった全員に幸せになってほしいと思う。そうすると心に余裕が生まれるから。
余裕が生まれると他人を気にすることもなくなるから。辛い思いをしなくて済むから。
素直な人ほど、傷ついてしまうことを私は理解している。
素直な人ほど、誰かの心をえぐってしまうこともある。
素直なだけが正しいんじゃない。どういったらいいかわからないけど。
少なくとも、自分の意見を言うことがすべてではない気がするから。
インターネットの中の私はどう見えている?
ここまで書いて、自問自答をしながら答えは見えない。
意見がほしいのかもしれない。客観的な意見が絶対だと思っているから。
「女のセンスが良くて情緒が不安定でかまってちゃんな寿司」
という認識であっているのかしら?だれか?
自分の中の私は、他人の言葉で何とか作り上げた、矛盾だらけの偶像。
鏡がないからむりくりくっつけたり、離してみたり、よく考えたら本当の私ってどこにあるんだろうか?
考えていたらこんな時間ですよ(笑)あ~あ、メンヘラの辛いところね、ここ。
馴れ合いの中で見つけた手放したくないつながりを、一歩下がって続けていけるように、それは頑張ってもいいことなんじゃないかと思った。
「頑張る」ことは悪いことじゃないよ。「ムリする」ことがダメなことなんだよ。
彼氏に「相手が悪いことが大半だけど、少し気が使えないところがあるのかもね」と言われて、きっとそれは私が素直と暴言をはき違えてしまった結果だったんだろうと思う。
誰にも言われたくないことはある。私なんか地雷原の塊だ。
一度壁打ちして自分に跳ね返ってきたときに違和感がないかどうか、確認してから言わなきゃな。
ただでさえ、脆い部分が多いから。
一歩引く、目があえばにこりと笑う、会釈。
思いやりとマナーを大切に。
シートベルトで守れる命。
今日はお寿司をかちこんだので、辛い気持ちの人もOS(OVER SUSHI)をするといいと思います。
太陽にはなれなくとも、誰かを照らす街灯になってみせましょう。
私のこと好きな人、大好きだよ。いつもありがとうございます。
現場からは以上です。
原因不明の結節性紅斑になった話
おはようございます。寿司マーブルです。
やっと結節性紅斑がおさまり、抜糸も済ませたのでブログにまとめようと思います。
そもそも結節性紅斑とは
ここみると詳しく載っています。すねに重点的にしこりのある紅斑ができる病気です。
ただ、紅斑のできる病気は数多くあり、なかなか自己診断ではたどりつけないですね。
そして結節性紅斑自体がウイルス感染によってできるものなので原因の確定が非常に難しいです。
最初は「どっかでぶつけたかな?」というあかいあざのようなものがうっすらとできて、次の日には虫刺されの様に数か所に赤い点々ができていました。
しこりがあるので蚊に刺されたときの腫れと似ているんですね。水疱瘡の様に細々としたものでもなく、帯状にもならず、思ったよりもまばらにできました。だから余計に判別しにくかったです。そもそも虫刺されと勘違いした時点で病院に行くものでもないなと思っていました。(この時に行っておけばよかった)
重症化すると腕や太ももにもできます。最初に現れたすねの紅斑は4日後には熱を持ち赤く腫れあがり、ゲボ痛くなっていました。
写真があった方がわかりやすいですね。
1日目
1日目の時に撮った写真ですが全く気付きませんでした。でも痣にしては少し変な色をしていたし、この日酔っぱらってこけましたがぶつけた覚えもなく、次の日に見つけて「?」となりました。
4日目
こんなに広がるなんて思っていなかったよね~。
あの小さなあざが「骨折か?」と思う位に腫れました。
他の部位も紅斑ができています。手の甲にもできました。虫刺されっぽい感じが伝わりますでしょうか。尋常じゃないくらい痛いです。
腫れて皮膚はパンパンになっており、心配して調べると「蜂窩織炎」といった恐ろしい病名も出てきて「死ぬのかな…」と思いながらひび割れしないように乳液を塗ったりしていました。おそらく無駄なのでやめた方がいいです。
立ち上がるたびに足の紅斑すべてに体重分の圧力がかかるため、立ち上がってしばらくは動けません。トイレに行くのもやっとで5日目はエクソシストのような格好で動いていました。おそらくここまで激痛になったのは3日目に痛みを感じたにもかかわらず3キロほど歩いたことにあると思います。ギィイ~~~・・・・ンという痛みが脛を貫き「もうダメなんですわ」と言いながら涙が出る感じでした。本当に痛かった。
ラナケインや湿布で対処しましたが効いた感じは皆無でした。
本当は5日目に病院にかかる予定でしたが最寄りの皮膚科が休診だったため、6日目にやっと行きました。ちなみに5日目の歩行数は15歩くらいだと思います。
絵にするとこんな感じですね。4日目までは一体何が起きているのかわかりませんでしたが、親が「結節性紅斑では?」と病名を探し出してきました。形も似ているし症状もあっている。ただ病院に行かないと何ともならないので寝たきりになってやり過ごしました。
病院に行こう
着替える事すらできずパジャマで行きました。(お風呂も入れなかったのでとんでもない状態だった)
うつの時に歩行困難になったことがあり杖歩行をしていたことがあったので、杖が大活躍。ただそれでも歩行はきつかったです。彼氏に付き添ってもらってヨボヨボと最寄りも小さな皮膚科に受診しに行きました。一応経過の写真を見せる場合に撮影もしており、メモに1~6日間の状況を書いて渡しました。
そして足を見せたとたん「あららら…」と言われました。
「これ結節性紅斑だから!1週間もよく我慢できたね!大きい病院で見てもらうものなので紹介状書きます!痛いでしょ!これ痛いのよ!風邪ひいてなかった!?引いてないのね!じゃあちょっと何によって起きてるかわからないから皮膚を切り取って調べてもらわなきゃいけないからね!紹介状書きます!ウイルス感染だけじゃなくて自分自身を攻撃してることもあるからね!」
をバババとまくし立てられあれよあれよという間に大きい病院へ。
車に乗っている間先生の言葉を反芻していました。
「皮膚を切り取って調べてもらわなきゃいけないからね!」
知っています。調べました。原因不明の結節性紅斑は皮膚生検をする必要があるのです。
高校3年生まで血液検査で大暴れしていた寿司にとってこれはかなり過酷なものでした。
「皮膚を切り取って調べてもらわなきゃいけないからね!」
どうやって…?
待ち時間の間に調べていると、「痛い」「痛くない」「死ぬほど痛い」「麻酔が痛い」「そんなに痛くない」とレビューが様々。
皮膚を切り取るどころか局所麻酔も初めての私は「局所麻酔 痛い部位」「局所麻酔 痛くない」「局所麻酔 痛い」といった検索ワードで自分をどんどん追い詰めていくのでした。膝が…膝が痛いんだね…まぁ一番大きいところは脛だから大丈夫かな…脛が痛いって言ってる人いないしな…うんうん。
大きい病院の皮膚科の先生に見てもらうと、「あぁ~」と言われやはり結節性紅斑であるといわれました。
「これといった症状がないので皮膚を切り取って調べる必要がありますね~」
しばし固まる。
「ど、…つ、あ、い、痛くないですか…?」
「えっ?あ~麻酔はちょっと痛いですね」
「はぁ~ん…。」
「とりあえず血液検査を受けてもらって、それで一回確認しましょう。」
「はぁん…。」
ここでナースさんが「車いすの方がいいでしょ!」と持ってきてくださいました。
初車いす。とても快適です。振動が少し痛いけど。
地価の採血の場所までエレベーターで向かいます。この時彼氏に操縦してもらいましたが人の脚を轢きかけたのでかなりスリリングでした。
そして下につき、皮膚生検のことを考えながらどんどん気がめいっていると、彼氏が車いすについているブレーキをガチャガチャいじっていました。
死ぬかと思いました。
こうして採血が終わり30分ほど結果が出るまで待ちます。
もう呼ばれなければいいのにと思いながら「局所麻酔 痛くない」で必死に検索をかけているとしばらくしてから「お寿司さん」とナースさんに呼ばれました。
先生に結果の紙を手渡され重要な数値だけ説明してもらいます。
「特別数値に異常は見られませんでした。腸の数値も安定していますし血球が異常に多いということもありません。ただCRPが基準値を大幅に超えて9.1でした。これは足の炎症によるものだと思います。」
CRPは炎症の数値です。これは異常に高いと大変な奴です。
この時ナースさんが「まあ…」と言っていたので平均値を調べました。
基本は0.3くらい。10以上から入院が必要になってくるとのこと。9
以上は寝たきりになる程度の痛みです。
そりゃ痛いわ。
「やはりこれだけではわからないので皮膚生検を行います」
「どんな感じで…?」
「え?う~ん簡単に言うと(ボールペンで丸と楕円を書き始める)炎症の一部を楕円形に切り取って検査します。」
「なるほど…(あ~わかったよ。スライサーみたいなのでス…てとるんだ。さっきのカバンアタックに比べたら余裕だな…)」
皮膚生検を行う
切り取っていいよという書類に名前を書いていよいよ皮膚生検。
簡易的な手術台のようなベッドに横になり、4~5人の看護師さんが対応してくれました。この間先生は周りをうろうろしています。
マーカーを取り出し、どこを切り取るか話しています。「う~ん、ここかな…」とあれこれやっているうちに感覚で分かるんですが完全に膝です。これは膝を切り取ろうとしている。
「局所麻酔 膝 とても痛い」
血圧と体温を測っているうちに恐怖で「ううう…」と泣き始めます。
高すぎる血圧に「大丈夫…?」とナースさんに心配される始末。
「麻酔なんてしたことないもんねえ。怖いよねえ。大丈夫だからねえ。」
と声をかけてもらいつつ、ナースさんの「音楽!」の掛け声で穏やかなSMAPが流れてきました。後で聞いて理解したくらいで聞く余裕がなかったです。
今年22の女の泣き声、励ますナースさん、そしてSMAP。
おいおい泣く私に先生が「そんな嫌なら…やめる?」と聞きました。
「やだ~~~…!!!!(もうやめてください。やめましょう)」
「おっ!やるの!えらいねえ!」
「ぐぅぅ~~~…(違います)(届この思い)(泣く)」
「じゃあ今から麻酔していきますね(シートペタ)」
「おおん・・・・・おおおん・・・・・!!!!!!」
・・・・・・・
痛くない。
全然痛くない。刺さったのはわかるけど痛みは採血の方が強い。
「い・・・いたくないです・・・・ごめんなさい・・・」
「あら~~よかったわねぇ看護師さんが上手だったのねぇ!」
「はい~~・・・・すいません・・・・・(泣きやむ)」
痛みよりも恐怖でどうしても泣いてしまうので(今年22)
どうにかしたいですね。無理かな。
麻酔は2本打ってもらいましたが2本目は全く何も感じませんでした。
切られてるのも全く分からない。
先生の「脂肪の方まで取ってね」の声で「めっちゃ取られてるやん」となったくらいです。スライスじゃ何もわからないんですね。
縫合は針の刺さっている感覚がありましたが、そんな痛いということもなく、15分もかからずに終わりました。3針縫った。
1週間後抜糸で来るように言われ、痛み止めと胃薬、最強のステロイドをもらいこの日は帰りました。
「お世話かけました…」とお辞儀したところ「いいんだよ…」という和やかなムードになったのであの病院は最高です。
一週間後
そして昨日、無事に抜糸を終えました。正直抜糸も検索しまくっていたいのかどうか調べていたんですが、実際は
パチンパチンパチン ペタペタ 終わり。
抜糸ってあんなにあっけないんですか。最先端医療は本当にすごい。
薬もばっちり効いて切られたところ以外は無痛だし、痛み止めを飲めば切られたところの痛みもある程度収まるので歩行が遅い以外生活に支障がなくなりました。
病院は最高。行けるなら行った方がいいと感じた一週間でした。
ただ生検をしたにも関わらず特に異常はなかったようで、本当に突き止めたいなら胃カメラとかもっと詳しい検査をしなきゃいけないみたいです。
まぁ炎症は収まっているし色素沈着もいずれは収まるので大丈夫でしょう。
再発したらまた来てくださいねとのことでした。
色素沈着が早く収まってほしいところですが(全部痣の様になっている)、結節性紅斑は再発があるのが怖いですね。
個人的には体重の減少による免疫力の低下に過労が重なったことで引き起こされたのかなと思っているので(その日お酒を飲んだことは関係ないと思いたい)適度にご飯を食べて再発しないように気を付けたいと思います。
結節性紅斑は女性に多い病気ですが男性ももちろんなります。
私生活にかなり支障が出るので「この斑点はなんだ?」となったら痛くなる前にダッシュで病院に行ってください。もっと危ない病気の可能性もありますからね!
病気の疑いがあるときは意外とブログの意見が参考になったのでこの記事も誰かの参考になればと思います。
まとめ
・膝付近の局所麻酔は痛くない(ちょっとチクチクする)
・皮膚生検は痛くない。術後の方が痛い
・抜糸は全然痛くない
・結節性紅斑は死ぬほど痛い
・私生活に支障が出る程度の痛みがあるとメンタルの落ち込みがほぼなくなる。
誰かの参考になりますように。
現場からは以上です。
ミドリカワ書房という道
医療の力を実感しています、寿司マーブルです。
ミドリカワ書房を知ったのは小学生の時。親と姉がどこかで知って、ついでに教えてもらった。
顔は普通のおじさん。声は素朴。聞きなじみがいいともいう。
全く売れている気配がない、でもファンは彼のことが大好きでこのバンドは頑丈な座布団の上に乗ってここまでやってきたんだと思う。
彼の魅力は歌詞の内容。これに尽きる。
ポジティブに好きな人の部屋に忍び込むストーカーの女の子の歌。
どエロイ保健室の先生が男を食い散らかす歌。
教授と不倫していた女子大生が大学を辞める歌。(見つからなかった。おそらくある)
万引きGメンの歌。(MVが消えていた)
字面がパワーワードの連続。最高ですね。これだけで聞きたくなりませんか。
もっとえぐいのもあります。
これだけあると一つくらい自分に引っかかるものが見つかりそうですね。
・・・・・
私の場合は「頑張るな」という曲がすごく自分の支えになっています。
受験の一番大事な時期にうつで倒れた。毎日起き上がるのは数時間。
体重も落ちて、思考もどんどん歪んでいって、世界が灰色にしか見えなかった時期。
姉が「ドライブに行こう」と私を引っ張ってこの歌を車の中で聞かせてくれました。
そして二人で泣いた。しこたま泣いた。
だから今でも聞くとあの時のことを思い出します。
心配しなくて良い
てめぇの体心配しろ
だからさ
そんなに頑張るなよな
適当でいいじゃんか
あの時姉は何も言わなかった。責めることもなかったし腫れ物に触るようなこともしなかった。
でも抜け殻になってもなお「動け」と囁く本能に従おうとしていた私に、この歌を聞かせてくれた。いい思い出です。
それからしばらくたって、留年してしまった私に姉は「気にすんな。そんくらい出してやる」と言ってくれた。
姉は私にとってスーパーマンのような人で、でもすごく頑張っているのも知っているから、そんな言葉で片づけてしまうのも気が引ける。姉の話はまた書きます。
この曲はyoutubeにあるので気になる人は聞いてください。
(非公式なので貼るか迷いました)
・・・・・・
整形したい、と思う時はいつもこれを思い出します。
激しめの曲。整形したい女の子の歌です。
MVは大体ボーカル本人が登場しています。ママも本人。綺麗ですね。
そんなに悲しい顔しないで
ママって泣き顔も綺麗だよね
それに比べて私の顔は…
いや もう言わない
もう言わないわ
この歌詞は欲望が詰め込まれすぎていてすごいです。
卑下ばっかして他人をうらやんで鏡を見ては泣いていた女の決心は固いです。
ママの悲しい気持ちにつられず、むしろそ泣き顔さえ決意を固くさせてしまうものになってしまっている。
そしてこの女の子は無事に顔を変えることに成功します。なんでわかるか?
この曲には続きがあるんです。
「心」という曲が「顔2005」の続編ではないかと言われています。
彼女は幸せになれたのか?ぜひ聞いてみてください。(youtubeにあるよ)
・・・・・・・
死ぬほど重い曲があります。何曲もあります。
「ごめんな」「おめえだよ」「妹の日記」など紹介したいのはあるんですが、非公式の動画しかないので気になる人は聞いてください。簡単に説明すると、
「ごめんな」は自分の子供がいじめられていたことを知った父親の歌。
父さんお前をいじめた奴らと
気づいてるくせに知らん顔してた
教師全員八つ裂きにしてやりたいよ
でもなそれやっちゃうと
お前の父さんじゃいられなくなるもんな
くやしいよ
この部分が本当に心に刺さります。いじめられた経験がある人って被害の大小あったとしても多いと思うんですよね。でも親目線の曲を私はこれ以外知らないです。
父親としてふがいなさがにじみ出てくるような歌です。ぜひ
「おめえだよ」はいやおめえだよ…っていう歌。
殺すつもりなんか 全くありませんでした
こんな歌詞から始まる曲があるかよ。男性が淡々と話しているような歌です。
最後まで聞くと題名の重さが伝わってきます。ボーカルの声も合っていてすごく好きですね。
どこを切り取っても野暮になってしまうので割愛します。
この曲だけは泣いてしまいました。私は身近な人が物心ついたときに亡くなったことが少なく、人生の一部が欠けるような思いをしたことがありません。だからこの歌詞は異次元のことのように思えて、でもどこかでこれは起きているんだなと考えさせられます。
いやほんとに重いんで…ここに載っていないのも重いんですけど、全部話すと1日かかるのでやめます。
今回はMVがある「母さん」という曲を紹介します。
見た感じお母さんに向けた曲というのはわかると思います。歌詞を引用しましょう。
母さん あなたは今でも僕を愛してくれていますか
親不孝者だったんですかね。子供というには大人っぽい文面。成人済みであろう男性が母親に問いかけます。
母さん あなたを僕は苦しめ悩ませたくさん泣かせたんだろう
子供というのはいつになっても親を悩ませるものですね。こういう気持ちを持つ人は多いと思います。
母さん とうとう来週の水曜日だよ
?
母さん とうとう僕法律に消される
ここまで書くとわかりますね。この「僕」は死刑囚です。
それだけの罪を犯した「僕」は、この後も母親に対して気持ちをつづります。
この曲のすごいところはこれだけきつい歌詞なのに「僕」が何も悪びれていないところですよね。
歌詞を読めば読むほど「僕」の狂気性が伝わります。でもスローテンポのバラードにのせられると聞いただけではわからない。
これがミドリカワ書房のセンスです。
他にもいい曲がたくさんあります。
よかったら自分のお気に入りの曲を見つけてくださいね。
現場からは以上です。
思い出を置きざって
満身創痍、寿司マーブルです。
結節性紅斑でカタツムリより歩行が遅い日々です。
病院のおかげでだいぶよくなりました。この話も来週以降書きますね。
先日は低気圧で大変でしたね。皆さんは大丈夫でしたか。
病気になってからというもの気圧に左右されやすくなりました。
雨もしとしと、体もボロボロ、メンはヘラヘラ。寝るしかない。本当にもう。
でもそういう時に限って外せない用事を入れてしまっている、人間だもの。
母校に行ってきました。
高校です。その前に大学に行けって話だよ。
私が「高校の教師になる!」と決めたきっかけである先生に連絡を取って会いに行きました。私はもともと社会の高校教師になるために今の学科に入ったのですが、体調悪化のため大学の教授に「体調優先にしなさい…」と言われ教師の夢は半ば途絶えました。
まぁ、この体調でなれたとしても生徒に迷惑がかかるし、高校3年間は一番大事な時期だと思っているのでなおさらなる気はないです。
雨の中足を引きずって歩きます。低気圧でTLも鈍足です。
学校までは3キロくらい歩きます。途中で数分電車に乗りますが、降りる駅の手前で電車が大きな川を渡ります。朝は陽の色が川に反射して少し幻想的、霧が強い日はちょっぴりミステリアスな景色。毎日様子を変えるそれを見て、高校生ながら「贅沢な風景だよなぁ」と思いました。
あいにくの雨ですがやはり綺麗です。ワンマン電車なので乗車している車掌さんに定期を見せて降りると、見たことのある田舎町が広がっていました。
とはいっても少しずつ建物が変わっていたり、なんか距離まで違う気がして、足は勝手に通学路を覚えているのも面白くて足が痛いけど校舎までたどり着きました。
おそるおそる侵入し(もう生徒ではないので)校舎内に靴を脱いであがると、生徒も少なくシンとした空気が体中をすり抜けていく。遠くで聞こえるホルンの音や職員室前で勉強する生徒の姿を見て
「これだ~~~」
となった。どれだよ。
とにかく高校の空気を肌で感じて異様に興奮した。画鋲で貼られたチープなポスターも、テストの内容が書かれた藁半紙のプリントも、緑色の黒板も、全てが興奮材料だった。
大学には及ばない小さな空間で大きな夢を描いていたあの頃の匂いがかすかに残っていた。私の中に。
職員室に入る。ただす制服もなかったのでとりあえず雨粒がついてないか確認し、気持ちを整えて少しドアを開けた。知らない先生と出くわしてお互いびっくりしてしまい気持ちが乱れた。入れない。
あたふたしながら少し顔を中に入れてみた。すると先生がすぐ見つかった。前の席と違う場所になっていた。少し想像してたよりぼさぼさしてた。
「おぉ~」と先生は言った。
「へぇへ・・お久しぶりです・・」と私は先生の所まで行き、お辞儀した。
「お前、何かあったか」と言われた。
誰に対しても本当に平等に人をいい感じに見下している先生だった。人を見下せるくらい知性があったし、面白い人だったからお前と言われても全く気にならなかったのが印象に残っている。
わざわざ来たが、特に用事はなかった。死ぬ前にどうしても会いたいと思ったから連絡をしただけだ。しいていえば留年しました。しいていえばあなたの生徒の中でとりわけ不思議な道を進むと思います。しいていえば、くらいの話。
「お前教師はどうするんだ。教職は?」
「そ、その話なんですが・・・りゅ、留年しました・・・はは・・・」
「バカやん。お前何しとんの」
ごもっともすぎて笑ってしまった。確かにバカだ。一人の女に振り回されて気づいたら留年していたなんて本当にバカだ。
手帳もつくらいの障害でなんとか生きてますと説明した。留年もそれでしてしまいました、とちょっと言い訳に使ってしまった。バカだな~
「えっそんなことになってたのか!」とびっくりマークがつく程度には驚いていた。
ひとしきり話をして先生はいろいろ「お前はこれからこうしていくべきだよ」と言ってくれた。
・同じ病気の人と関わりをもつこと。そして社会に慣れること。
・この1年間を利用して自分の病気についてよく知ること
・うまくいかないのはもううまくいかないのだから仕方ないと割り切れ。
・他人に説明する力をつけろ。許されるためじゃなく知ってもらうために。
あの先生が結構悩んで言葉を使うのは初めて見たからびっくりした。いつもきついこといって笑わせてくれるのに、でも腫物扱いとまではいかず「こういういいかたはよくないんだろうな」と考えながら言ってくれる感じだった。
「怒りっぽいな~、でもあの人はそういう人だからって済ませてしまうのと同じで、あの人めっちゃ休むな~、でもあの人はそういう人だから、で済ましてくれる社会を見つけなきゃいけないんだよなお前は。」
「生活に支障が出なきゃそれはもう個性なんですよ。私は支障があるから障害になってしまったけど」
「そういうことなのか?(笑)」
なぜか笑われたけど私はそうだと思う。実際障害というものはどれだけ周りをぶん回しても自分が楽しければ気づかないものだ。そうしていくうちに許せない人は離れていき、許せる人は「ああいうやつだから」で済まして順応していく。
自分が自分の体で順応できない限り、私はこの違和感を抱え続けることになるんだろう。
先生は相変わらず何でも知っていた。尊敬していた姿のままだった。私もいつしか生徒に戻っていた。何年も教師をやっていればきっと私より苦しい思いをした生徒を知っているし、実際にいなくなった生徒もいたのかもしれない。
「なんでできないんだろう…って思っても、できないんだからしょうがないんだよ。だからってそれを許してくれないやつともかかわらなきゃいけないのが社会だよな。」
「そういうやつには詳しく理解してもらう説明をしなきゃいけない。それはお前が許されるためじゃなくて相手が納得するためだよ。」
もうほんとに、その通りだと思う。
「毎日がわかんないんだよな。一日でも急にダメになったりするんだろ」
朝は楽しかったのに、昼には泣いてるなんてよくある。
何も言っていない、病名すら言っていない。なのになんでこんな読み取れるんだろう。
顔に書いてあるんだろうか。言葉は鋭いのに絶対に急所に当ててこない、当たっても「コツン」と当たるだけで全く痛くない。むしろ「コツン」が体に響いて心地よい。
頭のいい人は言葉を扱うのが本当に上手だ。
しばらくするとほかのお世話になった先生もやってきて3人で話した。
私の学年の生徒は全く先生たちに会いに来ていないそうで、あんなに「うちらの世代最強だね~~~!!!」って感じだったのに薄情だな~と笑ってしまった。
きっと薄情ではなくて、彼らは全員思い出に縛られることなく次に進めたのだろう。
未だに高校に未練を残してきてしまった私とは違う。羨ましいと思った。
先生たちも「あんなに世話を焼いてやったのに」と言っていたが、笑っていた。
未練なんてなくていい。思い出はおいていけばいい。
振り返るばっかじゃ自分は成長できないな。
今の私は、過去の自分に縋る進めないままの私だ。
言葉で言われなくても伝わるものはたくさんあった。
そうして1時間くらいで帰った。雨は上がっていた。
「というかよくきたね。帰れるか?」といわれ「頑張ります」と笑顔で答えた。
傘を杖代わりにしてゆっくり帰った。正門まで少し遠回りをして、運動場のほうまで行ったりした。
どこかに何かが必ず落ちている。どの角度から景色を見ても、その時の記憶が戻ってくる。
正門に引かれている白い線が今が過去になる明確なラインのように見えた。
高校の私は蘇ってこないし、今の私と交代だってできない。
あの頃の記憶のまま死んでしまえたら幸せなのかもしれないと何度か思ったことはあるけれど、きっとこれから私はこの不格好な精神で生きていく。生き延びていく。
振り向いて1枚だけ写真を撮った。そして正門を通り道路にでた。
足の鈍痛がやたらひどいので、帰りの倍の時間をかけて帰りました。
彼氏に悪態をつきながら駅に行く途中に高校生に抜かされて「若いな」とちょっぴり思ったり。
やっと来た電車は足を休めるには十分すぎて、そのまま終電まで休憩させてもらいました。お母さんに迎えに来てもらったし、とても頑張った一日でした。
春には大学が始まります。長い夏休みも終わり、私の人生の幕がもう一度上がる気分です。
無理はせず、油断もせず、自分の体のわがままをちょっとききながら、のんびり生きていきます。
「歩いたこと」が翌日の地獄を引き起こしたのはまた別のお話。
現場からは以上です。
直面した問題の根っこを探れ。
ニンテンドースイッチがほしい。寿司マーブルです。
昨日、とても良い記事を見ました。
【こころの悩み】“お金を稼げなくても愛される人間になりたかった”−−「子どもの頃」に愛情を注ぐことの重要さを考える | ぱりことば。
この記事を書いたのはともえさんという方。絵もかわいらしくて素敵です。
少し前からツイッターで仲良くさせていただいています。
彼女はBPD(境界性パーソナリティ障害)を患っており、記事の中でも生きていく中で感じる生きづらさをつづっています。
私はBPDの診断が下りてはいませんが、確実に併発していると思います。
で、時折それが爆発して誰かにぶち当たってボロボロになって、やっと起き上がれるって時にまた無理をしてどんどん芯にひびが入って脆くなっていく感覚。
うつも癖になるのと同じで、ストッパーが壊れると癇癪を抑えるのは難しくなるように思います。
前は許せたり大丈夫だったことが、実は「許し」に近い「我慢」だったことに気づかず、「そんなことで?」というところですべてが崩れていったり。
今私がそのデフレスパイラルにハマって相手をぶん回しているので、どうにかしたいなと思っているところにこの一文が目につきました。
「わたしは『誰に』怒っているのか?」
「『お金を稼げない人は自分の意見を言う資格がない』と思っているのは、『誰』だ?」
目の前で起きた事象を必死で抉り出し、手に持った包丁や止められない感情に対してパニックを起こす前に「この気持ちはどこから来ているのか」を探るのは非常に重要だと思いました。ハッとさせられるってこういうことなんだな。
なので私も根っこを探ってみようと思います。探り探り。
自分がいるだけでストレスではないか?
私が生きていると常に付きまとう感覚です。
友達といても、彼氏といても、以前は家族といても不安でした。
双極性障害を患ってから、その感覚は強くなりました。病名がつかなければ「双極性障害だから…」と縛られるような気持ちもなかったのかと思う時もありますが、だとすると今度は逆に大暴れして自爆する未来が見えるので病院には行ってよかったと思っています。
病名というのは使いようですね。
自分を縛る枷にもなれば、自分を抑止できる盾にもなります。
でも、人に迷惑をかける大義名分として振りかざすものではないですよ。
また、私はささいなことで神経がピリッとします。
でも「私に怒る価値はない」「我慢をしなければいけない」と感じ、ぐっとこらえます。
我慢をため込み精神が淀みはじめると、今度は身体的に支障が出てきます。
・勝手に涙が出る
・指一本動かせなくなる(感情が爆発すると今度は自分を攻撃し始める)
・体全体の感覚が過敏になる。触られると痛いといった不快感が出る。
でも今の私は自分が感じる不満の何倍も相手に負担をかけています。
どれだけ理不尽なことをされても「嫌だ」と「我慢しなければ」という感情がせめぎあって、情けなさといらだちでどんどん体が動かなくなる。「冗談だよ」で済まされたとしても他人の口から出た言葉に1%でも本心が含まれていないと言えるでしょうか。
じゃあ逆に幸せだと感じたら?
今度は「幸せになる価値のない自分」が顔をのぞかせます。尽くされているという自覚があればあるほど「私にそんな価値はない!」と言いたくなります。
どれだけ暴力を振るわれても待ち続ける相手の姿を見て哀れみすら覚えます。
「私には幸せにする力がない」
まともに日常生活を送ることができないこの体でなにができるのだろう。考えれば考えるほど見合う尽くされ方ではないことが明確になり、昨日も「私じゃない人と付き合えばいいとしか思えないです」と言ってしまった。
あれは相手が悪かったのかどうかもわからない。私が短気だっただけなのかもしれない。少なくとも私以外の人だけが怒っていい事柄であったことは確かです。
幸せでも不幸せでも納得しないこの脳が憎い。
徐々に「自分がいるだけでこの人(団体)はストレスなんだな」という考えが染みついてきます。
と、今まではここで終わっていました。どうにかしないと=我慢という方程式しか浮かばず、我慢が限界になれば答えは死へと移行するだけ。いい案が浮かびません。
したらば探ってみよう
神経質なのは生来の物だとして(潔癖症だし)、幸せになる自分が不満というのは自己否定から生まれていると考えます。
その自己否定が生まれたのはおそらく小学生のころ。この頃からすでに「自分の価値は役職によって定められる」と感じていました。人の上に立って先導することで自分の価値を確かめることができるし、1番になることが自己肯定の近道でした。
中学生の時は人の上に立たないことが自分なりの思春期だったのかもしれないな。
人のために奉仕をする。そのためなら自分の生活を犠牲にする、それが善であり自分を肯定する方法で、他の何物でもない。
人の上に立つことはすごくリスクが高いようにも思いますが、団体に所属していると神経質ゆえの不満も生まれやすく「自分ならこうするのに」という気持ちをフルバーストで解消することができますし、なんと上に立って頑張ると嫌でも人の目につくので誰かは褒めてくれます。しまいには生徒会長までやってド素人なのにAdobeソフトを駆使し15分程度の動画を一人で作っていました。褒められることで他人に認められたい、価値があることを証明したいとがむしゃらに頑張る、頑張るのが面倒な人たちが感謝してくれるというwinwinの関係性が誕生。
御恩と奉公の関係に似ていますね。
絵にするとこんな感じです。
ペンタブを持ってくるのが面倒で吹き出しをマウスで書きましたが、それによって鬼気迫り感が否めません。でも理解はしていただけると思います。
ハイリスクハイリターンな方法でしか価値を認められない私は、病気になったことでこの方法が封印されました。サークルでも部長にはなりましたが色々あって最後までやり遂げることもできず、「この先人の上に立つのは相当周りに迷惑をかける。やめておこう」と思いました。
そこで理解したのは「自分がいなくてもマジで何とかなる」ということです。
部長であっても下っ端でも、一人かけたら誰かが勝手に補うんです。これは自分を安心させましたが、当時はショックでした。
「自分がいないと成り立たない世界」なんて存在しないんだな…と思いました。
そして現在、役職が存在する団体に入っておらず自分の価値を証明することができない。この先もそれは厳しいということが自分を縛っているんだと気づきました。
自分の価値の証明の仕方を考えることから始めなきゃいけないみたいです。
根掘り葉掘り、大事だなあ~~。
家族は私がずっと寝込んでいるだけでも、楽しそうに散財していても
「それがあなただから、生きていてくれればいいんだよ」という気持ちを伝えてくれます。この年になってもしっかり叱ってくれるし、助かります。
彼氏もちょっと無神経だったりして私の神経を逆なですることが多々ありますが、病気のことも懸命に調べてくれて「すしまちゃんがいてくれるだけで幸せだよ」と言ってくれます。
「いるだけでいい」と思えなかったのは、私だけだったのかもしれません。
今でも褒めてもらうこともありますが、人からの善意を受け止められない私がいます。
それは高校の時に笑いものにされたり辛いことがあった過去があるからかもしれないし、小学校の時にいじめられた過去があるからかもしれない。「自分だけは味方だよ」という言葉によりかかりすぎていろんな人を傷つけて離れて、他人の限界を知っているからこそ、自分は他人からしたら手に余ることを十二分に理解しているからかもしれない。
障害によってフィルターにかけられた過去は辛いところだけを自分に押し付けてくるけど、でもそれを外してみればいいことだってたくさんあったはず。
高い世界しか知らなかった私は、障害によって最底辺の世界をたくさん見させられてそれなりに苦しい思いをしました。でもその場所でも色んな意見を知ることができたし、全部が悪いことではありませんでした。収穫がないわけじゃなかった。
何を「悪」とするかは自分自身。「善」も自分自身が決めること。
「善い」人間のハードル下げもしていくべきだろうな。
今の自分には何ができるのか、ではなくて、「そのままのあなたでいい」と言ってくれる人に感謝を伝えることから始めるのがいいのかもしれないな。
お題箱で「恵まれてる」と言われたけど、人間関係はすごく恵まれています。私。
ネットで出会った人もいい人たちばかりだね。助かっています。ありがとう。
素直に好意を伝えることはなんだか恥ずかしいけど、言わないと伝わらないのは良く知ってるからね。
すしまちゃんはあぶりえんがわなので白っぽいです。
今回の記事書いてちょっと心の整理がついた気がします。
今やるべきは
・目の前にある人の善意にはしっかりと感謝する。
・自分を認められる何かを探す
ですね。
わたしは「お金を稼げない自分」を許して、「自分で愛せる」ようになりたい。
「不定期に寝込んで仕事が全くできなくなる自分」も許してやりたい。
「できる自分」も「できない自分」も愛したい。
本当にこれ。お互い自分を大事にできるようになりたいですね。
ともえさん、ありがとう~!
あとお題箱
あの娘の白いワンピースが春風に吹かれて膨らんだ。
僕はそれが嫌だった。嫌で嫌でどうしょうもなくて、自分のシャツは切り刻んでひとりで泣いた。
そんな僕にあの娘は小さな青い花を一輪くれた。
もうあの娘に会うことはきっと、いや絶対に無いだろう。
なんで膨らんだのが嫌だったのかな~って考えてみたんだけど、きっと僕は外に出られなくて、外で見かけるあの娘は僕にとっての「健全」の象徴なのかな。だから羨ましいし大好きだけど、あの娘を見るたびに自分のふがいなさも同時に感じてしまうわけで。
シャツは大事だからあんまり切り刻まない方がいいよ(大暴れした時にボタンをぶち破ったことがある)
春に咲く青い小さな花を調べてみたよ。お花は好きなんですが扱いに困るのでもらってもあたふたしちゃいますね。
一輪で十分に存在感のある花がなかなかないですが「ムスカリ」なんかいかがでしょうあ。お花っぽくなくて僕が一生懸命調べたらこれが花だということを知ったのです。
『夢にかける思い』『失望』『失意』『明るい未来』
なんともそれっぽい花言葉じゃないですか。娘は僕に何かを期待していたのかもしれないですね。でも春になっても他人をうらやんで自分自身を傷つけているあなたに愛想をつかして、なけなしの情を花言葉に託したのではないでしょうか。
なんてね。物語の受け取り方は人それぞれなのでみなさんも考えてみてください。
お題箱、まだまだ募集しておりま~す!
http://odaibako.net/u/suposupo_
現場からは以上です。
感受性が強すぎる
ミミズのゲームにハマっています。寿司マーブルです。
面白いのでやってください。私の最高点数は15000です。
※気持ちのいい話ではないので気分が悪い人は見ない方がいい。
感受性がとても強いです。
自分の描いた絵を見て「こいつの一生はこの造形で終わりなのか…」と切なくなり、私がいない間に何とか動けるようにと生首だけで終わらず体を描き足すこともしばしば。
関節がぐちゃぐちゃですが無いよりましだろう。どうせなら笑顔の方がいいだろう、と思って描くこともあります。いや、動かないんだろうけどね。
おかげでおにぎりに付着した細菌のことも考えてしまい他人のおにぎりは食べれません。過程を見なければよかったとおもう食べ物は数知れず。寿司も高いところだとお手てで握るでしょ。やめてくれ。
人はこれを潔癖と言います。
昨日、面白半分で見たアダルトビデオで脳みそがバグを起こしました。
AV女優は可愛い女の子でした、なかなか見かけない顔面偏差値の高さ。
AVは基本的にパッケージ詐欺でやたら乳がでかいカエルが出てきたりするびっくり箱ですが、そもそも演技がゴミすぎて「てめぇ舐めてんのか!!!!(舐めてはいる)」と文句を言いながら見ますが、その女の子の演技はむしろたどたどしさが良い…と思えました。私は可愛い女の子には甘いです。
映像の内容はファンのためにどんないうことでも聞きます!というもので、最初のシーンは女の子と謎の犬が和気あいあいとしているだけなのもあり、言うてもソフトSM程度かな?と考えてました。
今思えばあそこでやめておけばよかった。
「演技」と「本能」の境目
本番に入りました。
先ほどの女の子がベッドの上にちょこんと座っています。部屋はピンクを基調としており、ベッドももちろんピンク色。壁にはうさぎやくまのイラストが飾られていました。
かわいい部屋にかわいい女の子。そこにカメラを持った男が入ってきます。
しばらくやりとりをした後男はおもむろに女の子の首を軽く絞めました。
ここで「AVで首絞め…初めて見た…」と少し驚く。女の子の顔は期待と興奮に苦悶が入り混じった表情で熱っぽくカメラを見つめます。男は力をどんどん強め
そこまではよかったんです。いやまあよくあるよね!そういうプレイってね…女の子がちょっとM気質なんですというアピールにもなるしね…。視聴者を置いてけぼりにさせない感じは大事だよね…うん…。といった感じで。
詳しく書くといろいろなところから怒られそうなので直接的な表現は避けますが、そこからプレイはどんどんエスカレートしていき、「このままだとこの女の子死ぬな」という表情が見えた時点で感情の歯車がズレました。
おそらくですが、痛いと言ってはいけないと言われていたようで「ありがとうございます」「ごめんなさい」「もっといじめてください」を何度も何度も絶叫しながら繰り返していました。叫ぶことで痛みを緩和させているようで、叩かれた場所は赤く腫れているにも関わらず男の力任せに何度も叩かれていました。一回本能的にその部位を守ろうと手が伸びたのがとても痛々しくて見てられず、それと同時に「AVの規制の境目ってどうなってるんだろうな…」と思いました。
普通にAV見てると女性の視点からは「いやそれは絶対気持ちよくない。膣ドカタでも切れるレベル」という行為は数多く見受けられますが、今回のはそれ以前の問題でした。でも以前女の子がぼこぼこにされるAVで話題になったバッキーも現在名前を変えて活動しているみたいですね。需要はあるんでしょうね。
どんどん目がうつろになる中、絶叫し、それでも快感を得ているとアピールする女の子。「演技」と「本能」の境目が徐々にブレていきます。
すると男が女の子の後ろに回り、思いっきり首を絞めました。女の子はカメラに向けて足を広げ、がむしゃらに手だけを動かします。どす黒く膨張していく顔と焦点の定まらない目、「ヴヴッ」「ガッ・・・」と声にならない声を必死に上げる様子に思わず目をそらしました。男の人に力を弱めてくれと訴えかける手もはねのけられ、その後苦しみから解放された女の子は吐きそうになりながら「気持ちよかった、もっといじめてください」と言いました。
この子、こんなことされるために生まれてきたわけじゃないよな。というかこれって倫理的にどうなんだろうか。全人類の幸せなんてこの世に存在しないんだな…
そこはかとなく…気持ち悪い…。
それからそのことばかりが頭を回ります。何を見ても何をしても、寝るときも彼女の顔が頭にこびりついて離れません。客の需要を考えてこれが制作されたんだとしたらこれを嬉々として実行する人がいるんだろうな。そうすると第二、第三の被害者が生まれる。自分は嫌だな。これを求められたら耐えられない。画面の向こうの彼女の様に苦しい思いをした経験があるからこそ、微妙に自分と被ったんだと思います。
男の人に触られることがこんなにも怖いことかと久々に思いました。
朝起きてもその気持ちはぬぐえず、隣にいた彼氏に触られることすら拒みました。
性交に対する嫌悪感が振り切れてしまい、お肉や魚、野菜までも「セックスに汚された汚物」にしか見えず、これから先水しか飲めない…と本気で考えていました。
認知のゆがみって恐ろしい。
しだいに糖分が足りずに頭が回らなくなり感情がどんどんマイナスに進みます。
あれ…
彼氏に手を握られることすら怖くて、ご飯も食べれないんじゃあ、生きてる意味がなくないか?
気づけば彼氏を包丁で脅し、泣きながら罵詈雑言を浴びせ家から追い出した後、自分でひもを作って首を吊ろうとしていました。
ただ、私壊滅的に自殺の才能がない。技術の授業で居残りをしていた理由が判明しました。物を作るのへたくそすぎるだろ。
口紅で遺書を書き(バスルームじゃないよ)いざ死のうと体を楽にした瞬間、紐についていた謎の突起がのどをえぐり「グェッ」となったところで思考が落ち着いてきました。
めっちゃ…馬鹿なことしてないか…???何でひもに突起がついているんだ???
とりあえず…頭を落ち着かせよう…。
その場にあったものを食べ、心配してくれた人にメッセージを返し、かまってちゃんじゃね~かよ~とまたちょっと泣いて、こういうことを繰り返して生きていくんだなと悟りました。
ドアを開けたら彼氏はしゃがんで待ってくれていました。本当にごめんね。
BPDの診断は出ていないけど、確実にそうなんだよな。
人に迷惑をかけたくないし私が男だったらもう確実に逮捕されてるし、さっさと病院に行かないといけないな。体重も落ちてるし。
病気のこと考えると「この先こんなつらい思いして治療するなら死ぬか…」となりがちなのでやめよう…やめやめ…。
やめれねえ…あの女の子にも幸せになってほしいな。
読んでくれてありがとう。これ読んだ後はさっぱりした音楽でも聞いてくださいね。
好きより嫌いの方が楽。
人生の7割寿司、寿司マーブルです。
先日このような記事を掲載しました。チラホラと見ていただいています。
本人巡回済みと思われます。どうもありがとうございます。
私は嫌いという感情をよく持ちます。この記事も9割嫌悪で構成されています。
「嫌いなものに執着してたら人生つまらないよ」という言葉も聞きます。
ごもっとも。見ているより好きなものに囲まれていた方が数億倍マシです。
でも、好きでい続けるってすごく疲れませんか?
嫌いよりもエネルギーを使ってしまう。好きになる対象によってその度合いは変わってきますが…。
「なんで好きってこんなに疲れてしまうんだろう?」
少し考えてみました。嫌われてる人も何かを好きで必死に追いかけている人もよかったら見てください。
そもそも「好き」のハードルが高い
この世の中「好き」のハードルが異常に高い気がします。
例として、とあるバンドを好きなAさんとBさんがいるとします。
Aさんがお金を落とすまではファンじゃない!と言います。彼女は足繫く現場に通い、チケキ〇ンでチケットを落とし、名義を借りて1ツアー3公演は必ず行きます。彼女の生活はそのバンドが基盤。グッズも雑誌も買いあさり、暇さえあればいくらお金が入るか皮算用。バイトのお金も時間も全てバンドのため。自分のことをおろそかにしてまでファンとして奉仕を行います。それが彼女の流儀です。
一方Bさん気持ちさえあれば立派なファンだと考えています。毎日youtubeのMVを聞き、円盤は買うもののライブにはあまり行きません。人混みが苦手なのと自分の生活を切り崩してまで応援をすべきではないと考えているから。生活の一部としてバンドを応援し、Twitterや手紙などで感想や感謝を伝えます。「手紙、読んでいます」というボーカルの言葉で今日も夢見心地。少しでも糧になっているなら…という考えです。
あなたはどっち派ですか?
この両者、どちらがファンかと言われれば答えは「どっちもファン」で終わりです。
でも、Aさんの方が愛が強いと考える人が多いのではないでしょうか。
Aさんはタフで金があるだけで気持ちの強さはほぼ互角なのに。
つまり「お金を落とせる相手」に対してはどうしても「財力」がファンとしての強さを決めてしまっているんですね。
お金のほかにも測れるものはあります。長さです。
古いアルバムを持っていたり、小さいライブハウスで活動していたころから応援していれば「古参」扱いされ、新規ファンから崇拝される現象もしばしば。そしてファン同士で壁のようなつながりが生まれ、少しでも軽率な発言(らっどってばんぷに似てますよね)をすると「テメェの居場所はここじゃねぇんだ…失せな」と土に埋められてしまいます。
こうして一定のコミュニティが生まれると逆に新規がつきにくくなり、関心がない人から「あそこのファンはなあ~~~」と言われがちですね。
ONE OK ROC…の話をしているわけではないです。本当に。
今回はバンドに限りましたが、アニメやゲームでも結構そういう現象は多いです。こうなると「好きだな~」と軽率に発言するのが面倒になってきます。
じゃあ好きを一般人に置き換えた場合は楽なのか?
いや、これもまたかなり面倒です。例を挙げます。
「ねぇねぇ、うちのことすき・・・?」
「好きだよ・・・」
「どこが・・・?(元カノよりも)どこが好き・・・?」
「うーーーーん・・・全部・・・かな・・・。」
「全部じゃわかんない・・・(具体的且つ私が喜ぶ例を挙げて)ちゃんと教えて・・・?」
・・・・・・
(1日ぶり3239回目の会話)
好きって伝えにくいですよね。恋人に対しては「何が好き」とか具体的なものって実はそんなになくて、「愛着」がほとんどだと思うんですよ。
でも「愛着が湧いている…」で済ましたら女はブチぎれます。
距離が近ければ近いほど好きの項目を挙げるのは難しく、好きと証明するのは困難。
その「好き」という感情を維持するのも維持してもらうのも相応の努力が要ります。
恋愛って難しい。
また「〇〇があまりにも自分の好みであった」ということを伝えるときに
「とりあえず最高」「よさみが深い」「生きていてよかった」
「生まれ変わってこの人の赤子になりたい」
と語彙力が大変なことになってしまいがちです。
愛着だけでなく、好きすぎると理性が飛んでしまうため、伝えることが難しくなってしまうのも原因の一つだと思います。(※諸説あります)
逆に「届かない相手」(バンド)には見返り(ライブ)があるから相応の対価を支払う(お金)ことである程度の欲求が保たれますね。winwinの関係です。
別にバンドはお前かわいいな…とか言わないですもんね。(言うところもある)
ただ、純粋な「見たい」から下劣な承認欲求が爆発し「見られたい」に変わったとき、届かない相手に一般人に対するエゴを押し付けることになります。
この行く先は地獄です。やめましょう。
「好き」より「嫌い」の方が面白い
他人の良い話より、悪い話に惹かれます。人間とはそういう生き物です。
美人の自撮りの加工がバレれば大盛り上がり、有名人のエメラルド割れが発覚すれば祭りです。
そして人は好きを語るよりも嫌いを語る方が的確で、非常に面白い。
こんなツイートをしました
みなさん、嫌いなものの話をしてください。食べ物、人間、ニュース、流行、なんでもいいです。嫌いなものの話をしてください。
— 寿司マーブル (@suposupo_) 2017年3月13日
それに対するマヨネーズが嫌いな方の返信
@suposupo_ さすがに石は投げられませんけど、そーなんですよ。思った以上に辛いですね。嫌いって認識すらなく、口に入れると舌と内蔵が苦しみ出す感じ……。
— 笑う蕁麻草 (@Archifictional) 2017年3月13日
こちらはトマトが嫌いな方の返信です
@suposupo_ どちゃくそ同感です!!なんかドゥルドゥルしてるじゃん!やだみ!
— さそ (@mmmmmmmmmm222) 2017年3月13日
マヨネーズで苦しみだす人やトマトがドゥルドゥルだと嘆く人。
みんな嫌いなものに対しては非常に敏感です。感受性が豊かな人が書く文章は非常に面白いのと同じで、皆さんが嫌いなものを文に起こすとかなり面白いものが出来上がるはずです。ぜひやってみてください。
この時の嫌いなものは「相手に感情がない物」がいいです。おそらく。
食べ物や団体、お金のために動いている個人、ニュースや本でもいいですね。
感情移入しすぎた挙句嫌いになってしまったものに言及すると自爆する可能性があるのでやめましょう。(例:己の過去)
ちなみに結構リプライがきて上記は抜粋したものになります。みんな嫌いなものっていうとすぐこれ!!!って挙げられるんですけど、好きなもののすきなところは?って聞くとう~~ん?となること多い気がする。
私も女王蜂の良さを伝えるつったら「ボーカルの脚が私の身長くらいある・・・」としか言えません。でもこれは本当です。
そして好きを伝えるとき、しっかりと調べて書かなければという使命感に駆られて、書いている途中で疲れてしまうこともしばしば。
嫌いなものに関しては嫌いの感情がすでにリストアップされているのでそこまで疲労せず書けます。アンチと呼ばれる方々の感情まで行くと、もうそれは好きの裏返しと言っていいくらいの執着になりますので、身を滅ぼしかねません。やめましょう。
何を書きたかったかっていうと、案外嫌いという感情の方がストレスなく過ごせるかもしれないという話です。そうじゃないと人に「嫌い」なんて簡単に言えませんもんね。
「好き」っていうほうがなんか、責任がいるじゃないですか。たまには無責任に「嫌いだ~!」って言ってもいいと思います。
でもそれで人を傷つけるのはよくない。棒立ちの人間に殴りかかるような「嫌い」はやめましょう。
中村さんは殴りかかっても平気で蘇るので大丈夫だと思いました。
以上です。